■ 氏は自身の描く図面やブログのネームにaquioと記していた。
著名なイラストレーターに共鳴したと聞く。
知的でオシャレな感覚が漂う。
西田明夫・・・・・感動を提供出来る数少ないオートマタ作家の第一人者である。
世界的にも知れている。
有馬玩具博物館、岡山の現代玩具博物館の館長でもあった。
その仕事には絶大な信頼があった。
氏の書く知性とユーモアに溢れたブログではいろいろと勉強させて頂いた。
オートマタは勿論の事、絵本、音楽、映画、ファッション、食・・・・独自の視線を持って極めていた。
進めていたプロジェクトでは、体制に屈する事なく毅然と理想を貫いていた。
氏のブログでオートマタの作家として認めて頂き嬉しかった事を昨日のように覚えている。
昨年末からの記事を読むと、分刻みのスケジュール。
新作の大型オートマタ製作、クリスマスの演出、取材、海外出張・・・・・・断れないドイツへの出張では体調を崩されているのが心配だった。
「好きな事をしているんだから」・・・・・愚痴もこぼさずに頑張っているんだろうと推察していた。
1月5日のご子息の記事を最後に更新が無い。
記事の無いタイトルが二つ。
「天国と地獄」、もう1つは「散髪」。
好きな映画の話?
「何かあったのか?」・・・・・・不安も感じていたが確かめる事も無く2月を迎えた。
8日の記事の無いブログにトラックバック。
「とても悲しいお知らせ」の文字。
親交の深かった絵本コレクターのOさんからのトラックバック。
2月6日、西田明夫氏永眠・・・・・・・。
信じられない報告に言葉を無くす。
私が氏を知ったのはある木工の専門誌。
デザインの仕事で多忙な毎日を過ごしていた頃。
仕事の資料で買い求めた木工専門書の玩具特集に氏の作品を見つけた。
その洗練されたデザインとモチーフの面白さに惹かれた。
機素と呼ばれる動かす為の仕掛けも小さなパーツ一つ一つが完璧なまでにデザインされ、全体と調和していた。
ペンションを経営しながらの創作活動・・・・・そのライフスタイルも羨ましく思った。
弟子入りを考えた事もある。
20数年前の事。
私が動く作品を作るようになってからは、何時も気になる存在として意識していた。
氏の著書「動くおもちゃ」をはじめ、氏の作品が載った主だった本は集めた。
私が氏とはじめて会ったのは2005年8月、福岡はIMZビルの8階三菱地所アルティアムで開催された「現代からくりおもちゃ展」。
企画会社N社の代表Iさんの企画で、西田氏と名古屋のばんば氏、地元からという事で私を含めた3人展。
入場料のあるはじめての展示会。
初対面にも関わらず、共通の話題で直ぐに溶け込んだ。
ダンディな氏はパイプ煙草の煙をゆらしながら静かに、強い説得力を持って、時にはユーモアを交えていろいろな話を聞かせてくれた。
氏は’46年産まれ、私は’49年・・・・・年代が近い事もあって、音楽や作家などの好みに共通するものがあった。
それからは何かとお気遣い頂き、展示会のお誘いや作品の紹介などもして下さった。
オートマタと言う日本では馴染みの薄い特殊な創作。
氏の努力によって、多くの方に理解された。
氏を目指してオートマタの作家になった方も多い。
その先駆者としての功績は大きい。
氏がここ居られない事は今でも信じられないが、氏が残されたものは偉大である。
氏が残してくれた考え方や精神、技術を受け止めながら創作の道を進んでいけたらと思っている。
2月9日に執り行われたお別れの会はダンディな氏らしい印象的な会だったと聞く。
オートマタのハンドルを回すたびに、私を氏を思い出すだろう。
自ら製作したドラゴンに乗って、空を飛び回っている姿を・・・・・・。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。