2017年9月22日 (金)

彼岸花

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この時期、何時もの場所にここに居ますと立ち上がっている彼岸花。

年々偲ぶ人が多くなる。

2017年9月15日 (金)

中島重久堂

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私は鉛筆派です。

好みの硬さはHB。

作品のアイデアを練るスケッチも製作時の墨付けも同じものを使います。

鉛筆は削らなければいけませんが、この削る時間が仕事を円滑に進めるチョットした「間」になります。

はじめの頃はナイフで削っていたのですが、ここ数年はもっぱら鉛筆削りを使ってます。

それもハンドルを回す様なタイプではなく価格も安価で小さなもの。

ドイツ製のSTAEDTLERや無印などいろいろと使いましたが、この中島重久堂の鉛筆削りが今一番のお気に入りです。

削りカスが美しく、芯の先までシャープに削れます。

少しデリケートな印を付ける時にはこのシャープさは欠かせません。

その削り具合を見て「間」を楽しみます。

価格は400円です。

2017年9月 4日 (月)

蟻塚

黄色く葉を染めはじめた桜の枝でジー…ツクツクツク…ボーシ!ツクツクボーシ!とツクツクボウシが鳴き声を大きくしている。

見上げた空に鱗雲。

吹き抜ける風は秋。

足元を横切るトカゲは何か忙しそう。

ガレージのドアの戸当たりにはりついたヤモリは私に気づいて慌てている。

夏のはじまりの頃より一回り大きくなっている。

レース状になった柿の木の葉にはコガネムシ。

柿も色付き始めている。

色は綺麗だが刺されると痛いイラガは紅葉に2回目の産卵。

シデムシは大きな尾を引きずって枯葉の中へ潜って行く。

「ありがとう!」と一言。

庭に観る様々な生き物の営み。

新鮮な驚き。

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桜の木の根元に不思議な形の造形。

Dsc03860_1

造形は大小二つ。

蔵王のカルデラの様でもあり建築物の様でも・・・・・・・・。

水を入れてみたら?・・・・・・・・浮かんだ衝動を抑える。

造形担当は小さな蟻。

凄いな~と関心してしまう。

暫くはこのまま楽しませてもらう。

2017年8月31日 (木)

復興支援ライブ

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友人のYumicoさんが参加する九州北部豪雨 東峰村・日田復興支援ライブの第一回目が川端のGate’s 7で29日に開催された。

入場料金は二千円。

自分達の出来る事で支援を・・・・・・入場料金の全額が被害にあった現地へ直接お見舞いとして寄附されると言う。

参加したミュージシャンは9組。

突っ込み処満載の豪華でバライティーに富んだ9組のパフォーマンス。

日田からのアーティストも参加。

「皆さんは大いに楽しんで下さい!!」と司会の言葉。

午後6時30分から開演したライブは午後11時の最終便に乗る頃まで続いた。

楽しんで支援に繋げよう!!

大いに楽しみました。

この支援ライブは今後も続けて行くとの事。

興味のある方はゲイツセブンのHPまで。




2017年8月16日 (水)

ごめんなさい・・・・・

仙台七夕の最終日8月8日の早朝に仙台の母が静かに息をひきとった。

覚悟はしていたもの、納棺の時は涙が止まらなかった。

母の希望もあったので身内だけで静かに送った。

Photo

母が大事にしていた柱時計の文字盤を使って製作したマザーズクロック

葬儀の終わった晩に宿泊先のホテルのベッドで寝つけないでいると日記のページを捲る様に幼い頃の事を思い出した。

3日前の事を思い出すのにも難儀する私が思い出した60年以上前の事。

今まで誰にも話した事もない私だけの話。

母を偲んでここに書き止めておこうと思う。

少し長い話になる。

故郷仙台を離れて40数年。

この間に仙台には数えられるほどしか帰省していなかった。

今年のはじめ母がベッドから落ちて足を骨折したとの知らせがあった。

歳も歳、心配になってこの4月に病院の施設に居た母を見舞った。

顔色も良く艶もあったが会話は目だけだった。

帰省は年に1度は最初のうちで回数を数えればこの40数年で30回にも満たないだろう。

親不孝な息子と言われても仕方がない。

それでも母との思いでは沢山ある。

小学5年に仙台に移る前まで住んでいた埼玉は北浦和の家。

舗装された道路も少ない時代。

大小のトラックが凸凹の道を粉塵をまき散らして走っていた。

誰もが想像する昭和の時代。

幼稚園時代から親に心配をかける子供だった。

外出先でトイレが出来ない。

小はともかく大は絶対にダメ。

我慢が出来なく下着を汚して幼稚園から帰る事もしばしば。

その割には調子者だったりもする。

調子に乗って羽目を外す。

怒られても直ぐに忘れる。

その度に母が呼び出されていた。

何とも手の掛かる子供だったと思う。

Photo_3

小学3年の時、体調が優れなかったので早退した。

顔色の優れない私を見て驚いた母は私をおぶって近くの病院まで駆けつけた。

簡単にタクシーを呼べる様な時代ではなかった。

冷や汗を流しながら診察される私を心配そうに見ていた母の顔を覚えている。

診察の結果は肋膜炎だった。

肺の下部に水(リンパ液)が溜まっていた。

幸いにも軽かったので薬の治療で済んだが、3年生の1学期を全休した。

今は分かるが、その時は母がどれほど心配したか想像もつかなかった。

体調を取り戻すと母の心配を余所に言う事を聞かないヤンチャな私に戻っていた。

近くで見つけて来た小さなヘビを持ち帰っては「飼いたい」と言って母を驚かせたり、近くの田んぼにドジョウ捕りに行っては毎回畦道ですべって泥だらけになって帰宅。

勿論洗濯機などは限られた家にしか無かった時代。

母はせっせと洗濯板を使って汚れた泥を落とす。

「洗濯機に入れといて」と簡単な時代ではなかった。

駅前の国道沿いにあった真っすぐな店名のデパート正直屋にもよく連れて行ってもらった。

デパートと言っても庶民的だった。

母は手料理も上手かったが今で言うグルメでもあった。

美味いモノ好きが高じた訳では無いだろうが、後には母は仙台駅前のビルの地下に庶民的な飲食店を開く事になる。

仙台に帰れば何処そこの何々が美味いと情報をくれる。

その情報は正確だった。

北浦和での食の思いでと言えば駅の近くに在った中華屋。

テーブルの記憶は無い。

カウンターだけの小さなお店だったと記憶している。

そのカウンターに座って何時も頼むのは醤油ベースの五目そば。

味は勿論の事、その五目そばの具材に入ったキクラゲの独特の食感がクセになった。

その独特の歯ごたえは今でも鮮やかに覚えている。

今でも醤油ベースの五目そばは私の好物。

キクラゲが入っていれば言う事は無い。

五目そばを食べる度にその中華屋を思い出す。

散髪代を貰って行ったニューヨークバーバー。

店名の意味は分かっていなかった。

髪型はぼっちゃん刈。

前髪が綺麗に揃えられる。

襟足はバリカンで刈られる。

小さい私に選択件は無い。

今は流行の髪型。

散髪が終わると貰える飴玉が楽しみだった。

帰り道、生垣の上に見えたざくろの木。

季節には真っ赤に熟れて割れた果皮の中から覗くつぶつぶの果肉。

その形状と色を今も鮮明に覚えている。

家の近くのT字路の突き当りに在った警察犬の訓練士の家。

道路で訓練していた。

腕に綿の入った大きな防具を付けて大きなシェパードに噛ませていた。

シェパードは私より大きい。

耳を立てる為の手術は横目で見た。

その向かいにある文房具屋。

文房具屋と言っても店名は「〇〇紙業」と書いてあった。

印刷も請け負っていた。

店内からインクの匂いと印刷機の回転音が聞こえてくる。

そんな音も思い出す。

Photo_2

友達の家と繋がったラムネ工場。

高い天井近くまでラムネの箱が積み上げられていた。

通路の空いた場所で遊んだ。

屋根が在るから全天候型。

バケツに厚い布を張って、その上で鉄製のコマを回して強さを競うベーゴマ。

やりとりはスリリング。

勝てばコマは貰える。

勝者のお尻に当て布をされた半ズボンのポケットは鉄コマの重さで破れんばかりに垂れ下がっていた。

メンコもした。

木製のラムネのケースをひっくり返して遊んだ。

箱出しと言う遊び。

置いたメンコがひっくり返されるか、箱から落とされたら負け。

それぞれのメンコを範囲の内でカスタマイズする。

強いメンコを皆が真似る。

カスタマイズはエスカレートする。

ビーダマは地面に釘で自由な形の島を書いた。

手持ちのビーダマで島の中のビーダマを出す遊び。

ここでもモノのやり取りが行われる。

子供の遊びながらギャンブル色が高い。

ちょっとした諍いも起こる。

親が介入する事もある。

母が呼び出される。

モノのやりとりの無いのが釘刺し。

太い五寸釘を地面に投げおろして陣地を作って行く。

釘はしっかりと地面に刺さらねければならない。

釘の刺し跡と刺し跡の点を結んで行く。

相手と交互に釘を刺して行く。

決まった位置から線は中に向かって渦巻き状に小さい円を描いて行く。

2本線の渦巻きが中に向かって行く。

相手の結んだ線を釘で刺せば、そこは決壊する。

ただそれだけだが時間を忘れて遊んでいた。

塾も無く、子供が自由だった昭和の時代。

母は若い時に教壇に立った事もあって字が上手い。

そのDNAは受け継いでいない。

お櫃に寄せ書きを入れた。

私はクセのある字で「ありがとう!」と書いたが、納棺の時に母の髪の毛をさわりながら出た言葉は「ごめんなさい・・・・・」だった。

60年以上前の埼玉は北浦和での母との思い出。

ページはまだ続くのだが、それは又の機会に・・・・・・・・。

合掌

2017年8月 4日 (金)

ゴーヤ

ガレージの窓際に日よけにと数年前からゴーヤを植えている。

今年も3本植えた。

3本と侮るなかれ、これで家族二人には十分な量が夏中収穫出来る。

Photo_6

葉の影に大きくなった実を見つけた。

今年はじめての収穫。

夏にゴーヤはよく似合う。

定番のチャンプルも良し、シンプルに湯がいてオカカをかけてポン酢で食するも良し。

佃煮もいける。

苦味は大人の味。

H氏のブログを覗いたらゴーヤの料理が載っていた。

H氏宅のゴーヤはリビングの窓を開けて収穫出来る。

早速H氏のブログの料理を連れ合いに注文。

Photo_7

湯がいたゴーヤにシラス。

ポンズで食した。

久振りにハイボールを合わせて味わった。

連れ合いが言う。

「ゴーヤてナマコ見たいだネ」

湯がき具合がポイントだが、白部分の柔らかさ、凹凸のある緑の皮の部分のコリコリした食感。

確かにナマコの様。

勿論ゴーヤ特有の大人の苦味はほどよく残っているが、酢醤油をかけた大根おろしで食したらまさにナマコの感じ。

庭でとれたので、庭ナマコの命名。

庭ナマコ、今日も食卓に。

 

2017年7月31日 (月)

夏真の風物詩

朝は日の出とともに蝉の鳴き声。

Photo_3

「うるさいでしょう!」と私。

「夏の風物詩ですからネ」と近隣の方に慰められる。

「2、3週間の事ですから・・・・」と慰めて下さった方も言い聞かせる様に言ったそばから少し困った顔。

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庭の地面は勿論の事、モルタルや庭石から覗いた隙間にセミが這い出た穴、穴・・・・・。

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穴から這い出たもの、行き場所を見失って彷徨う幼虫も・・・。

Photo_2

軒下に置いた自転車の車輪に・・・・・・一体どこから出て来たの?

誕生とは反対に短い一生を終えて土に戻る蝉もいる。

木陰を歩く私の肩に突然などと言う事もしばしば・・・・・・・。

夏真っ盛り、庭で夏ならではの風物詩が繰り広げられている。

2017年7月15日 (土)

蝉時雨

ナナミ、ホルト、楓、マキ、サクラ、柿と庭にある大きな木で朝も早くから蝉の大合唱。

今年の我庭での初鳴きは7月5日。

例年より少し遅い。

Photo_3

早朝の玄関の脇に植えられたレッドロビンの根元に黒い穴。

Photo_4

枝を伝わって上の雨に濡れた葉を見ると蝉の殻。

ガサガサとレッドロビンの茂った葉の中からアブラゼミ。

驚く私を尻眼に柿の木に止る。

しばらくして今年はじめて聞く蝉の鳴き声。

Photo_5

その日の午後ベランダに羽を休めるアブラゼミ。

雨に濡れて動きは遅い。

連日続く猛暑日に蝉の大合唱。

梅雨明けは近い。









2017年7月11日 (火)

お見舞い申し上げます。

今年は春先から季節の移り変わりが何か違っていた。

桜の開花も遅かった。

ツツジは今になっても花をつける。

雨の少ない無い梅雨。

田植えから間もない乾いた田んぼ。

ひび割れた大地から弱々しく伸びる苗。

Photo

勢力の弱い台風の発生を聞いて、「水を運んで来てくれたら・・・」と思った事を口にした。

弱い台風が通り過ぎた後に来た大音量の雷とヒサシを叩きつける強い雨。

眠れない夜を送った。

夜が明けて次々と知らされる記録的な豪雨の被害。

「雨が欲しい・・・」と言った事を反省した。

時間が経つごとに被害の甚大さが伝わってくる。

言葉が無い。

5月の展示会でお世話になった日田の方々が心配で連絡をとる。

幸いにも知り合いの方々は早期に避難して難を逃れていたが、地域の被害は想像以上。

梅雨前線はまだ居座っている。

まだまだ予断は許さない状況。

私達はここで心配するしかないのだが、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

2017年7月 4日 (火)

1年がかりの仕事。

主人公となるキャラクターの人形を制作している。

人形製作においても教室に通い誰かに習ったと言う事が無い。

全てが自己流。

あえて言うなら好きな作家の作品集やハウツー本が先生。

そんな資料から学んだ事。

人形を構成するパーツで特に手足や顔の造形が作品の出来を左右する。

顔は勿論の事、手や足のちょっとした表情で作品が変わる。

製作しいても感じる。

指先の向きや位置だけで雰囲気がガラリと変わる時がある。

それだけに手足の造形には気を使う。

Photo

この手は角材から作っているのだが、手の表情によって木の種類を選ぶ必要がある。

理想的な素材があっても工具の関係で製作出来ない事もある。

こちらの技術もある。

切り出してから分かる事もある。

気に入るまで作ってはボツ、作ってはボツの繰り返し。

ここ(写真)に完成品はない。

自己流ゆえのロスタイムだったりもする。

それでも加工は結構ぎりぎりのところで鎬(しのぎ)を削っている。


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